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起承転結の「結」の時代、のんびり、ゆったり、平和に楽しく過ごしたい
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自由な時間がたくさん出来たのに何だか何もする気になれず、気がつくと数独をやっている。
せっかくの自由な時間、もっと有意義に使わないと・・・と思っても中々気が向かない。
手続きなどはそんなに急いでやることもないと、一つ一つ片付けている。
昨日はたくさん余ってしまった紙オムツを今までお世話になったケアマネージャーの所に寄付してきた。寄付というよりは引き取ってもらって助かった。途中でオムツの形体が変わってしまったので、物置にたくさん残ってしまった。その上、母が亡くなる1日前に親戚の方からも紙オムツが送られてきた。大きさも形も母の使えるものではなかったので、それもそのまま引き取ってもらった。
娘とやれやれと家に帰ったらすぐ電話で「オムツの一番下にお見舞いのお金とお手紙が入っていましたよ」言われた。ビックリ、気付かなかったわ~オムツの箱にお金を入れてくれるとは思わなかったわ~
普通お金と手紙は別便にするか電話するかするよね、もらっててこんな事言っちゃ悪いけどね。
あの時は細かな事に気付かな過ぎだった。きちんと確かめるべきだったわ~

さて今日は「赤い財布」が届いた。毎年誕生日のプレゼントをいただくジュリ友さんからだ。
私はまだ彼女の誕生日のプレゼントをしていないのに申し訳ないわ~
遅れたのはやはり誕生日を祝っていいのかな~という優しさだ。娘とかぶったことを嘆いていた。
大分前に用意してくれてたみたい。でも娘のくれた財布は日常の買い物のための大き目の財布なので、ジュリ友さんの赤い財布はお出かけ用にしよう。だから大丈夫うれしいよ。
一緒に写っているのは別のジュリ友さんの手作りのぞうり、恥ずかしがるから写真を載せたら悪いかなと思ったけど、財布のついでに載せちゃいます。素敵でしょ、もったいなくてまだ履けません。
お二人とも優しいお手紙がついていて泣きそうでしたよ(それでも泣かない)
他にもメールをいただいたり、あったかいジュリ友さんに感謝の日々です。

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今年の誕生日は普通の誕生日とは違う、還暦なのだ、と言うことで「おけい祭り」赤いもの集めたいと思った。
赤い携帯、ワインレッドのCDラック、赤いフォトフレーム、赤い猫の模様の小銭入れ。
ここまでは良かったが母が亡くなり、おけい祭りも中止になってしまったので、ストップ。
娘が私のリクエストで赤い財布を探してくれて、おまけに赤いハンケチもつけてくれた。末っ子は「赤いものって言われてもわかんないよ~」と言って保留、原宿のショップでおまけにもらった赤と黒のチェックのショールを「これ良かったらやるよ」と無造作にくれた。
母がいたら、プレゼント現金でもらえたのに・・・。
でも亡くなった時にすぐに思ったのが母からのプレゼントは「自由」というお金では買えないものなんだと言うこと。私は自由になったが、まだピンと来ない。
もう一人自由になった人が夫だ。私と一緒に旅行に行けると喜んでいる。
告別式の2日後にはもう旅行社に行っている。うれしそうに「お母さんのために温泉に行こう」と張り切っている。あまりにも素早すぎるんじゃないの??と思うけど、この人もかなり我慢していたんだなと思う。こういう人だから母とうまくやって来れたんだなと思った。当分は大人しく夫の言うとおりにしておこう。波風立てたくないのだ。
旅行に行くのはちゃんと納骨の済んだ4月なので、大分先の話だし。
4月と言えば「音楽劇・探偵」がある。いつもは3回くらい申し込むのに、今回はたくさんは行けないと思い、2回だけにした。それなのに千秋楽の抽選に外れ、ガッカリして振り替えもしなかった。
でも、そうだ自由になったんだわ、もっと行かなくちゃ
eプラスでチケットを探したが、もう良い席はほとんど残っていない。それなら一番安い席でもいいからと2回分申し込んだ。これでいつものように3回観られることになった。母に感謝です。

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母が亡くなったというショックはあったものの、通夜も告別式も泣かなかったので、娘には冷たい女だと思われている。あの冷静な長男でさえも泣いたのにって。
でもあの泣き虫の末っ子も泣かなかった。どうしてだろうと言っていた。
末っ子は母の隣の部屋にいて、何度も夜中に転んだ母を助けていた。そういう悲惨な情景を見ているから、かえって泣かなかったのかな。私の介護もいっぱいいっぱいだなと心配していたらしい。
皆が疲れているのが分かっていたのね。
私は11月に母が倒れてから、病院から病院と付いて回って気持ちの休まる時がなかった。
それは本当は倒れる前からだったかもしれない。
母の介護をし出してからは、もっと心配の連続だった。私が倒れたらどおすると夫にも言われ、それもプレッシャーになっていた。
無事に親を二人とも先に送り出した安心感が今はある。
母が最後に「あ・・・・」と言ったと娘が言う。多分「ありがとう」と言いたかったんだよと言う。
何だか「夢の日常」のようだなと私は思う。

♪切れ切れにしぼりだす言葉は
 僕には確かに「さようなら」と聞こえたよ

娘には「ありがとう」と聞こえたんだ。娘は夢の日常の歌は知らないけど。

介護生活を励ますCD「明日は晴れる・・・・・・だろう」の最後に3曲追加した。
♪夢の日常と♪母ちゃんのワルツ、そして♪ひかり

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今年のバレンタインは自粛、でもお友達から一つ、娘から一つ、チョコをいただきました。
今日は母にかわいいお花が届きました。ありがとーです
母の回りはお花やチョコや浅草のおみやげでにぎやかです。

ジュリーのCDもかけていませんでしたが、今日は「明日は晴れる・・・・・・だろう」を聴けました。
介護はなくなったけど、元気を出さなくちゃと思った時に聴くといいかも。
ジュリーの曲を勝手に色々な用途に使ってすみません。でもそれだけジュリーの曲は幅広いということですね。頼まれた方の分も作ってあるので、やはり送らせていただきます。

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葬儀が終わり次にすることは49日の法要の準備。
お寺に電話して日にちを決めて、法要後の食事会の場所を予約しないといけない。
3月はお彼岸があるのでその前にしていただくことになった。
49日は姉家族と私たちだけの内輪で済ませようということで、美味しいものを食べちゃおうと話した。
お寺が浅草なので、夫と娘と3人で下見に行った。
浅草はしょっちゅう行くのに入ったことのないお店「今半」に行ってみた。
お昼のランチみたいな「すき焼き丼」と「ステーキ丼」を食べてみた。やはり美味しい。雰囲気もいいのでここに予約した。法要の食事コースがあり、お肉も追加注文が出来るのでいいかな。
その後、娘が行ってみたい喫茶店があるというので、探して行ってみた。
そのお店の名前が「天国」っていうのがちょっとあまりにもピッタリ過ぎじゃないのと思うけど、コーヒーとホットケーキが美味しいらしいので入ってみる。本当に美味しかったのでコーヒー豆とホットケーキを御土産に買って帰った。
浅草を歩いていると父と母が向こうから歩いて来るんじゃないかと錯覚するほど、昔と変わらぬ街並みに時々立ちどまったりする。また来よう、浅草に。

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