起承転結の「結」の時代、のんびり、ゆったり、平和に楽しく過ごしたい
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お通夜までにぽっかりあいた一日、棺に入れる物を選んだ。母の晩年は特に大切にしていた物もないので、デイサービスで自分で書いた塗り絵の本2冊と折り紙、昔仲良しだったお友達とお揃いで縫ったうわっぱり、髪の毛がまだ伸びていないので愛用の毛糸の帽子、夫の写した睡蓮の写真を入れることにした。
お通夜も告別式も喪服は着物ではなく洋服にしたので、気を使わなくていいなと思っていたら、礼服はあるけど黒いコートがないことに突然気付いた。よその葬儀にはコートは派手じゃなければ黒でなくても構わないと思ったが、今回は黒じゃないとまずいと思った。
夫も普通のコートで行こうとしていたので、二人で急いでコートを買いに行った。母がいたらきっと買ってくれただろうが、もう甘えてはいられない。二人分の出費だ。黒は1枚持っていた方がいいわね。子供たちは何故か皆黒いコートを持っていた。
告別式の最後に喪主の挨拶がある。文例を参考にして私が原稿を書き、夫が読み上げることになる。漢字にはほとんどふり仮名をふり、読み間違えないように注意して、二人で明日とあさってを頑張ろうと話した。
お通夜も告別式も喪服は着物ではなく洋服にしたので、気を使わなくていいなと思っていたら、礼服はあるけど黒いコートがないことに突然気付いた。よその葬儀にはコートは派手じゃなければ黒でなくても構わないと思ったが、今回は黒じゃないとまずいと思った。
夫も普通のコートで行こうとしていたので、二人で急いでコートを買いに行った。母がいたらきっと買ってくれただろうが、もう甘えてはいられない。二人分の出費だ。黒は1枚持っていた方がいいわね。子供たちは何故か皆黒いコートを持っていた。
告別式の最後に喪主の挨拶がある。文例を参考にして私が原稿を書き、夫が読み上げることになる。漢字にはほとんどふり仮名をふり、読み間違えないように注意して、二人で明日とあさってを頑張ろうと話した。
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娘と二人で斎場に行き、湯灌の儀式に立ち会った。
母は見る度に表情が柔らかくなっているようだった。
清めの水をかけてから、全身をきれいにしていただいた。髪を洗ってもらう時、気持ちが良さそうな顔に見えた。デイサービスにまだ行けなかったので、しばらくお風呂に入れなかったもんね。きっと気持ちが良かったんだと思う。丁寧に時間をかけて最後に私たちも顔を拭かせてもらった。
宗派に法った旅立ちの装束を身にまとい、薄く化粧をしてもらった母はとてもきれいだった。
杖を入れたり、草履を履かせたりして、これで父の所に行くんだなと思ったら、急に涙が出てきた。
父は13年も母が来るのを待っていたのかなと思った。大好きな母を橋の所で待っているのかなと思った。
父から預かった母を父の元に返せるんだなと思うとほっとする気持ちがある。
家から母を包んできた私の毛布と最後に着ていた寝間着、娘がくれた足先を包む小さなピンクの毛布も棺に一緒に入れてあげられた。私の毛布が母と一緒に行けることが何だかうれしかった。
母は見る度に表情が柔らかくなっているようだった。
清めの水をかけてから、全身をきれいにしていただいた。髪を洗ってもらう時、気持ちが良さそうな顔に見えた。デイサービスにまだ行けなかったので、しばらくお風呂に入れなかったもんね。きっと気持ちが良かったんだと思う。丁寧に時間をかけて最後に私たちも顔を拭かせてもらった。
宗派に法った旅立ちの装束を身にまとい、薄く化粧をしてもらった母はとてもきれいだった。
杖を入れたり、草履を履かせたりして、これで父の所に行くんだなと思ったら、急に涙が出てきた。
父は13年も母が来るのを待っていたのかなと思った。大好きな母を橋の所で待っているのかなと思った。
父から預かった母を父の元に返せるんだなと思うとほっとする気持ちがある。
家から母を包んできた私の毛布と最後に着ていた寝間着、娘がくれた足先を包む小さなピンクの毛布も棺に一緒に入れてあげられた。私の毛布が母と一緒に行けることが何だかうれしかった。
朝、警察から連絡があり11時に病院に来るように言われる。姉を呼んでいたら姉は家族総出で来てくれた。
姉は私の顔を見るなり「長い間ありがとう」と言った。私はそれだけでいいと思った。
娘と義兄の車で病院へ。警察の検視官はあちこちの病院を回ってくるので予定より2時間も遅れた。よくあることらしい。私たちは姉と母の話をしていた。
検死の結果は多臓器不全、老衰ということだった。検死の結果に不審がなかったので、母は葬儀社の車で帰ることが出来てホッとした。
その後斎場に、母を安置し通夜・告別式の打ち合わせをした。姉夫婦がいてくれたので心強かった。間に友引が入るということで9日通夜、10日が告別式と決まった。少し日にちに余裕があり、心の準備、写真など選ぶのには良かったと思う。
告別式の後、49日まで一階に祭壇を飾るので、至急ベッドを撤収してもらう手配をした。デイサービスに行くために持って来てもらったスロープも車椅子のクッションもついに一度も使わずに返却することになった。夕方来てくれて、とても感じがよく、短い間だったけどとてもお世話になり感謝の気持ちでいっぱいだった。
夜、母の写真を出して娘とどれがいいか決めた。デイサービスに行っていた時の笑顔の写真がいいかなと思ったが友達と一緒だし。と思ったがパソコンで編集してみたらなんとかなりそうだった。
明日は湯灌に立ち会うため娘とまた斎場へ行くことになった。ギクシャクしていた私たち母娘もおばあちゃんのお陰ですっかり元通りになっていた。
姉は私の顔を見るなり「長い間ありがとう」と言った。私はそれだけでいいと思った。
娘と義兄の車で病院へ。警察の検視官はあちこちの病院を回ってくるので予定より2時間も遅れた。よくあることらしい。私たちは姉と母の話をしていた。
検死の結果は多臓器不全、老衰ということだった。検死の結果に不審がなかったので、母は葬儀社の車で帰ることが出来てホッとした。
その後斎場に、母を安置し通夜・告別式の打ち合わせをした。姉夫婦がいてくれたので心強かった。間に友引が入るということで9日通夜、10日が告別式と決まった。少し日にちに余裕があり、心の準備、写真など選ぶのには良かったと思う。
告別式の後、49日まで一階に祭壇を飾るので、至急ベッドを撤収してもらう手配をした。デイサービスに行くために持って来てもらったスロープも車椅子のクッションもついに一度も使わずに返却することになった。夕方来てくれて、とても感じがよく、短い間だったけどとてもお世話になり感謝の気持ちでいっぱいだった。
夜、母の写真を出して娘とどれがいいか決めた。デイサービスに行っていた時の笑顔の写真がいいかなと思ったが友達と一緒だし。と思ったがパソコンで編集してみたらなんとかなりそうだった。
明日は湯灌に立ち会うため娘とまた斎場へ行くことになった。ギクシャクしていた私たち母娘もおばあちゃんのお陰ですっかり元通りになっていた。
母との別れは突然やってきた。
ドラマのようなきれいごとではなく、慌てた。
2月3日に2回目の訪問介護で診ていただいた時は異常なしだったのに。
5日は病院に薬をもらいに行ったり、必要な物を補充したりしてたのに。
お昼ご飯はちゃんと食べたけど、少し鼻から息をしていた。病院に行く時に声をかけた時も「いってらっしゃい」と言っていた。夕飯をあげる時、いつものようにベッドを起こしたが、ちょっと様子が変だったのでもう少ししてから食事をさせようとベッドを戻した。
娘が様子をみていたが、息が荒かった。少ししたら静かになったので楽になったのかと思ったが、娘が嫌な感じがすると言って脈をみたら「脈がないみたいだよ」と。
私も慌てて、手に触れたら脈がなく、血管が妙に浮き出ていた。
「お母さん!お母さん!」と何度も呼んでみた。
入院していた病院に電話したが、中々つながらない。姉に電話したら救急車を呼ぶように言われる。
救急車を呼んで、そこからが大変だった。
救急車が到着する前に電話で心臓マッサージをするように指導される。娘が電話からの指示を私に伝えて私がマッサージをする??私に出来るの??と心細く母の所に行くと、末っ子がすでにマッサージの体制になっていた。娘の指示の元何度もマッサージを繰り返した。
そうこうしているうちに救急車到着。救急隊の方が6人も来てくれて、テキパキと処置をしてくれた。
母はタオルケットと布団をかけていたので、「毛布ありますか?」と聞かれ、私の毛布を出した。
母は私の毛布に包まり救急車へと運ばれた。入院していた病院にはどうしても受け入れてもらえず、別の病院へ。救急車の中で今までの様子を聞かれる。娘と末っ子は後から車で来てくれた。
病院に着くとすぐに先生に診ていただいたが、9時30分死亡が確認された。
初めての病院ということで「死亡診断書」を書けないと言われ、入院していた病院に連絡してくれたが、またしても来られないということで、警察が来ることになった。何だかすごいことになるんだね、自宅で亡くなると。
また同じことを聞かれ、明日警察の医師が再度確認することになった。
病院のご好意で警察に行かず、明日の検死まで母を安置してくれることになり、私たちは家に帰った。
翌日は姉も来てくれるので少し心強い。
ドラマのようなきれいごとではなく、慌てた。
2月3日に2回目の訪問介護で診ていただいた時は異常なしだったのに。
5日は病院に薬をもらいに行ったり、必要な物を補充したりしてたのに。
お昼ご飯はちゃんと食べたけど、少し鼻から息をしていた。病院に行く時に声をかけた時も「いってらっしゃい」と言っていた。夕飯をあげる時、いつものようにベッドを起こしたが、ちょっと様子が変だったのでもう少ししてから食事をさせようとベッドを戻した。
娘が様子をみていたが、息が荒かった。少ししたら静かになったので楽になったのかと思ったが、娘が嫌な感じがすると言って脈をみたら「脈がないみたいだよ」と。
私も慌てて、手に触れたら脈がなく、血管が妙に浮き出ていた。
「お母さん!お母さん!」と何度も呼んでみた。
入院していた病院に電話したが、中々つながらない。姉に電話したら救急車を呼ぶように言われる。
救急車を呼んで、そこからが大変だった。
救急車が到着する前に電話で心臓マッサージをするように指導される。娘が電話からの指示を私に伝えて私がマッサージをする??私に出来るの??と心細く母の所に行くと、末っ子がすでにマッサージの体制になっていた。娘の指示の元何度もマッサージを繰り返した。
そうこうしているうちに救急車到着。救急隊の方が6人も来てくれて、テキパキと処置をしてくれた。
母はタオルケットと布団をかけていたので、「毛布ありますか?」と聞かれ、私の毛布を出した。
母は私の毛布に包まり救急車へと運ばれた。入院していた病院にはどうしても受け入れてもらえず、別の病院へ。救急車の中で今までの様子を聞かれる。娘と末っ子は後から車で来てくれた。
病院に着くとすぐに先生に診ていただいたが、9時30分死亡が確認された。
初めての病院ということで「死亡診断書」を書けないと言われ、入院していた病院に連絡してくれたが、またしても来られないということで、警察が来ることになった。何だかすごいことになるんだね、自宅で亡くなると。
また同じことを聞かれ、明日警察の医師が再度確認することになった。
病院のご好意で警察に行かず、明日の検死まで母を安置してくれることになり、私たちは家に帰った。
翌日は姉も来てくれるので少し心強い。